2025年 春季企画展
百 華 の 美
The beauty of various flower paintings
2025年4月7日(月)~7月18日(金)
休館日/土曜(但し第四土曜日4/26、5/24、6/28は開館)、日曜、祝日
開館時間/午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで)
入館料/300円 *障碍者・75歳以上・学生および再来館等割引あり
会場/齋田記念館 展示室
[イベント]学芸員によるギャラリー・トーク
4/25(金)、5/26(月)、6/27(金) 午後2時~
開館時間/午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで)
入館料/300円 *障碍者・75歳以上・学生および再来館等割引あり
会場/齋田記念館 展示室
[イベント]学芸員によるギャラリー・トーク
4/25(金)、5/26(月)、6/27(金) 午後2時~
草花図巻 狩野探信・探雪筆
そうかずかん かのう たんしん たんせつ
江戸中期(17~18世紀)
絹本著色・1巻 36.5×550cm
狩野探信(守政/1653~1718)・探雪(1655~1714)は、江戸の生まれ。室町時代の狩野正信を始祖とする狩野派は、徳川幕府の成立をうけ、京から江戸へ進出。狩野探幽(1602~1674)は16歳で幕府の御用絵師となり、50歳代のとき後妻との間に探信・探雪の兄弟が生まれた。探幽は、養子の洞雲益信に駿河台狩野家を興させ、探信には鍛冶橋狩野家を継がせた。探雪は鍛冶橋狩野家より分家したが、跡継ぎに恵まれず家系は続かなかった。なお、鍛冶橋狩野家には本作を手掛けた二代探信(守政)と六代探信(守道)がいる。
本作は、兄の探信が前半の七図、弟の探雪が後半の五図を描いた草花図の巻物。牡丹・燕子花・菊・水仙・梅・椿など四季の草花を、地に根をはって花を咲かす様ではなく、すべて切り花として描いている。切り花を描く例は、歴史的に多くはないが、寛永(1624~1644)の頃の作とされる「百椿図」(根津美術館蔵)は様々な器物と取り合わせて飾った切り花の椿図であり、貝原益軒『大和本草』(1709年刊)の図も根元まで描かれず茎の途中で切られたものが多く、こうした当時の流行のなかで生まれた作と言えよう。十分な余白に良質な絵の具を用いて精緻に描かれ、とりわけ巻頭の牡丹は、花びらの色の濃淡の変化が顕著で、中国絵画の影響が色濃い。写生か否かはおくとして、各植物の特徴をよく捉え、特にあやめと燕子花は、その違いを明確に描き分けている。
本作は、兄の探信が前半の七図、弟の探雪が後半の五図を描いた草花図の巻物。牡丹・燕子花・菊・水仙・梅・椿など四季の草花を、地に根をはって花を咲かす様ではなく、すべて切り花として描いている。切り花を描く例は、歴史的に多くはないが、寛永(1624~1644)の頃の作とされる「百椿図」(根津美術館蔵)は様々な器物と取り合わせて飾った切り花の椿図であり、貝原益軒『大和本草』(1709年刊)の図も根元まで描かれず茎の途中で切られたものが多く、こうした当時の流行のなかで生まれた作と言えよう。十分な余白に良質な絵の具を用いて精緻に描かれ、とりわけ巻頭の牡丹は、花びらの色の濃淡の変化が顕著で、中国絵画の影響が色濃い。写生か否かはおくとして、各植物の特徴をよく捉え、特にあやめと燕子花は、その違いを明確に描き分けている。
かきつばた 竹内栖鳳筆
たけうち せいほう
昭和16年(1941)
絹本著色・1幅 124×42.8㎝
竹内栖鳳(1864~1942)は、京都生まれ。幼い頃から絵を好み、四条円山派の幸野楳嶺に入門。明治33年(1900)に渡欧し、コローやターナーらの作品に示唆を得て、翌年帰国。帰国後、号を棲鳳から栖鳳に改め、それまでの日本画にない光や空気の表現や写生的技法に挑戦した。
かきつばたは、尾形光琳はじめ琳派の絵師が得意としたモチーフで、本来『伊勢物語』の「八橋」の場面を絵画化したもの。本作は、花は明るく鮮やかな青で、葉はシルエットのみをたらし込みの技法で表現して平面的である。写生を得意とした栖鳳だが、本作は琳派の翻案としての意識が強い。ただ、花の上を大蚊(ががんぼ)が飛び、『伊勢物語』のイメージというよりは、むしろ栖鳳が捉えた初夏の実景であろう。小さな虫にも温かな眼差しを注いだ栖鳳ならではの繊細かつ優美な作品である。
かきつばたは、尾形光琳はじめ琳派の絵師が得意としたモチーフで、本来『伊勢物語』の「八橋」の場面を絵画化したもの。本作は、花は明るく鮮やかな青で、葉はシルエットのみをたらし込みの技法で表現して平面的である。写生を得意とした栖鳳だが、本作は琳派の翻案としての意識が強い。ただ、花の上を大蚊(ががんぼ)が飛び、『伊勢物語』のイメージというよりは、むしろ栖鳳が捉えた初夏の実景であろう。小さな虫にも温かな眼差しを注いだ栖鳳ならではの繊細かつ優美な作品である。
歳寒三友図より梅図 瀧和亭筆
さいかんさんゆうず うめず たき かてい
明治20年(1887)
絹本著色・3幅対のうち 155.5×53.3㎝
瀧和亭(1830~1901)は、江戸千駄ケ谷の生まれ。幼くして地元の画家・佐藤翠崖に学び、15歳で翠崖の師・大岡雲峰(1765~1848)に入門。雲峰没後は、本草画家の坂本浩雪(1800〜1853)に学ぶ。嘉永3年(1850)、長崎に遊学、僧の鉄翁や、木下逸雲、清人の陳逸舟らと交わり、中国画を習得。明治維新後は、内外の博覧会で度々受賞し、旧派の重鎮として知られた。
本作は、歳寒三友すなわち松竹梅を描いた三幅対のうちの一幅。松や竹は冬の風雪にも緑を失わず、梅は寒さのなか百花に魁(さきがけ)て花を咲かせることから、節操を曲げぬ士人を象徴するが、日本では吉祥の意味合いが強い。梅の幹がダイナミックに画面を横切り、本草画家に学んだだけあって、まっすぐに伸びた枝につく梅の花が適確に写生され、精緻で力強い描写が魅力である。
本作は、歳寒三友すなわち松竹梅を描いた三幅対のうちの一幅。松や竹は冬の風雪にも緑を失わず、梅は寒さのなか百花に魁(さきがけ)て花を咲かせることから、節操を曲げぬ士人を象徴するが、日本では吉祥の意味合いが強い。梅の幹がダイナミックに画面を横切り、本草画家に学んだだけあって、まっすぐに伸びた枝につく梅の花が適確に写生され、精緻で力強い描写が魅力である。